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名古屋地方裁判所 昭和43年(行ウ)20号 判決

原告 近藤希作

被告 名古屋市長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立

(原告の求める裁判)

被告は、原告に対し金八七万〇二九一円およびこれに対する昭和四三年二月一日以降右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告の求める裁判)

一、本案前の申立

原告の訴えを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

二、本案の申立

主文同旨の判決。

第二、主張

(請求原因)

一、別紙目録記載の土地(以下「本件土地」という。)は、原告の所有であるところ、被告は名古屋都市計画街路一等大路第三類第二一号守山上野線街路築造事業(以下「本件事業」という。)につき、その起業者として昭和四〇年八月二八日建設省告示二五〇七号で建設大臣より事業の認定を受け、昭和四二年二月二〇日愛知県知事において土地細目の公告をなした。

二、本件土地は、訴外九名の者の所有土地とともに右土地細目の公告中に掲げられ、(ただし、本件土地中収用部分は四七九・四二平方メートルのみ。)、被告および原告ら関係者間において買収の交渉が継続して行われてきた。しかるところ、従前本件土地附近において行われた土地収用においては土地の小作人乃至賃借人に対する補償は起業者がこれを同人らに直接支払うことなく、補償金を一括して土地所有者に支払い、その後所有者、小作人間の交渉によりその具体的な関係を参酌して所有者から小作人に配分されるという方式が採られていたのに、被告は本件事業の土地買収においては直接起業者が小作人らに補償をなす(個別払)方式を固執したため円満な解決に至らなかつた。同年六月二〇日被告は原告らに対し土地収用法四〇条による協議をなしたが、原告らにおいてこれを拒否したので、被告から愛知県収用委員会に裁決の申請をなし、同委員会は昭和四三年一月三一日次の如き裁決(以下「本件裁決」という。)をなし、右裁決はその頃原告に送達された。

(一) 収用する土地 本件土地のうち四七九・四二平方メートル

(二) 損失補償   一平方メートル当り六〇五一円(ただし、本件土地についてのみ。)

(三) 配分比率   地主と関係人との配分比率は一律七〇パーセント対三〇パーセントとする。

三、しかしながら本件裁決は次の点において不当である。

(一) 補償の個別性を無視したものである。すなわち、本件土地は現況田であり、訴外近藤一夫(以下「訴外人」という。)が昭和二四年ごろから賃料一カ年一四〇五円の約定で借受け耕作していたが、訴外人は昭和三五年以降右賃料を支払わないばかりか原告の再三にわたる地代の支払請求、賃貸借関係消滅の折衝に対しても誠意をみせず、本件土地の耕作も満足に行つていない有様であつた。然るに本件土地が収用されるとの噂を聞知した訴外人は、昭和四二年一月五日に至つて初めて昭和三五年以降同四一年迄の賃料を供託したうえ、自己が正当な賃借人であるとして被告から金八七万〇二九一円の賃借補償を取得してしまつたのである。

ところで、土地収用による賃借権消滅に対する補償は、右賃借権が法律上保護される場合に限り認められるべきで、賃貸人賃借人間の信頼関係が破壊され、消滅寸前に至つているごとき場合には認められないものであるところ、本件裁決は本件における前記事情を考慮せず、所轄農業委員会に届出られた小作届だけに基づいて訴外人に対し土地の価額の三〇パーセントの補償を与えたものである。従つて、本件土地のうち買収された部分に対する正当な補償は本件裁決によつて決定された金額に訴外人に支払われた金八七万〇二九一円を加算したものでなければならない。

(二) しからずとするも、本件土地の収用価格はあまりに低廉不当である。

すなわち、土地収用法七一条によれば損失補償は収用裁決時の価格によつて決められるべきところ、被告は昭和四〇年、同四一年の近傍類地の取引価格を基準として本件土地の価格を坪当り一万九九六八円三〇銭と算出しており、本件土地の如き大都市の郊外地は年々著しく高騰するにもかかわらず、本件裁決のなされた昭和四三年一月三一日までの右価格の上昇を全く無視している。しかしながら、本件土地の近傍類地の取引価格よりすれば、本件裁決時の本件の土地価格は一平方メートル当り九〇九〇円(坪当り三万円)が相当であり、ことに本件土地と同時に収用された訴外九名の者の所有地の収用価格が一平方メートル当り六六五六円、六五三五円、六二九三円、六二三二円等であることを考え合せれば、本件裁決による本件土地の価格は不当であること明らかである。そして、本件土地のうち収用される部分は四七九・四二平方メートルであり、地主たる原告に対する補償は七〇パーセントであるから、結局原告は三〇五万〇五四九円の補償額を受取るべきであるのに実際には二〇三万〇六七九円を受取つたにすぎない。従つて右差額一〇一万九八七〇円を損失補償として請求しうるところ、八七万〇二九一円の限度で内金請求をなすものである。

四、よつて、原告は、被告に対し八七万〇二九一円およびこれに対する本件裁決の日の翌日である昭和四三年二月一日以降右完済に至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の本案前の抗弁)

原告は、名古屋市長を被告として土地収用法一三三条の損失補償を求めているが、同条二項の「起業者」は同法六八条に規定する財産的損失補償の主体たる「起業者」と統一的に理解されるべきである。してみると。同法一三三条二項の起業者は財産的行為の主体たりうべき名古屋市であり、名古屋市長たる被告でないことは明らかであるから、被告は当事者たる適格を有しない。

(被告の本案の答弁および主張)

一、請求原因第一項、第二項記載の事実は認める。

第三項(一)記載の事実のうち本件土地が現況田であること、訴外人が本件土地を原告から賃借していること、被告が訴外人に対し賃借権消滅に対する補償として、他の小作人と同様土地価格の三〇パーセントの補償(八七万〇二九一円)をなしたことは認めるが、訴外人が賃料の支払を怠つたこと、賃料を昭和四一年に供託したこと、耕作を満足に行つていなかつたことは不知、その余の事実は争う。

第三項(二)記載の事実のうち、原告が補償額二〇三万〇六七九円を受取つたこと、収用価格の決定は裁決時を基準としなすべきことは認めるが、その余の事実は争う。

二、訴外人に収用価額の三〇パーセントの補償をなした本件裁決は妥当である。すなわち、土地賃借権の消滅補償とは起業者が土地を収用して完全な所有権を取得する法的効果として、これと両立しえなくなつた賃借権が消滅することにより賃借人が受ける損失の補償をいうのであり、一般に賃借権価格相当額が基準となるが、右価格は一般的客観的に定まるものである。従つて仮に賃借人に賃料不払等の債務不履行があり、所有者、賃借人間の信頼関係が破壊されていても、それは所有者の契約解除の一事由となりうるにすぎず、契約解除によつて賃借権が消滅していない以上、土地収用による賃借権消滅に対する補償において右債務不履行を考慮して補償額を決定する必要はないのである。

三、本件収用価格である一平方メートル当り六〇五一円は公平妥当な補償価格である。すなわち、本件収用価格は、起業者たる被告が原告に示した買収価格と同一であるが、被告は本件事業の用地買収価額を決定するに際し、名古屋市土木局の公共用地の取得に伴う損失補償基準細目及び同損失補償基準に基づき、鑑定価格(昭和四一年一〇月一日を鑑定時点とする。)、近傍類地の売買実例、固定資産税課税標準額、大高西部土地改良区が換地処分に関して使用した指数及び残地補償等を考慮して平均一坪当り一万九〇〇〇円(一平方メートル当り五七八七円)が適正な買収価額であると考えて、土地所有者団と交渉したが、土地所有者団は平均一坪当り二万円(一平方メートル当り六〇五一円)を主張して譲らなかつたため、被告はやむなく土地所有者団の主張を容れて買収価格を一坪当り二万円とし、愛知県収用委員会も、右価額は相当であるとして本件裁決をなしたものである。なお、原告は鑑定価格や近傍類地の取引事例は本件裁決より一、二年以前のものであり右期間経過による価格の高騰を考慮していないと主張するが、前記のとおり本件収用においては交渉段階で土地所有者団から強い値上げ要求がありやむなく、その要求どおり坪当り二万円という当時の時価よりは相当に高価な額で妥協したものであり右価額は前記鑑定価額より約一八パーセント高く、また近傍類地の取引額より格段に高額であつたのである、このことは、社団法人愛知県宅地建物取引業会が作成した昭和四三年六月三〇日を価額時点とする、本件土地と同じ大高町の宅地についての土地価額一覧表記載の標準価格からみても明らかであり、従つて本件土地の収用価額は本件裁決の時点における適正価額より高きに失することはあつても低廉であるということはなかつたのである。

(本案前の抗弁に対する原告の反論)

土地収用法にいう「起業者」とは、同法八条一項に定められているように同法三条各号の一に規定する「事業を行う者」をいうのであつて、行政処分たる土地収用法上の各種の行為をなしうる主体すなわち行政機関を含むと解すべきである。従つて、同法一三三条の損失補償に対する不服の訴えは損失補償義務の帰属主体たる名古屋市のみならず、行政官庁たる名古屋市長をも相手方として提起しうるものである。このことは古くから大審院判例によつて認められてきたところであり、現行法についても妥当するものである。

第三、証拠〈省略〉

理由

第一、本案前の抗弁に対する判断

被告は、名古屋市長は本訴について当事者適格を有しないから本訴は不適法であると主張するのでこれにつき判断するに、本件土地は、旧都市計画法に基づき名古屋都市計画街路守山上野線街路築造事業のために収用されたものであることは当事者間に争いのないところであるが、旧都市計画法は行政官庁、市又は指定町村を統轄する行政庁を都市計画事業の執行者と定める(同法五条一項、同法施行令一条)反面、事業に要する費用は行政官庁が事業執行者である場合には国が、公共団体を統轄する行政庁が事業執行者である場合にはその公共団体が負担する(同法六条一項)旨規定している。これらの規定と、土地収用法八条一項において同法にいう「起業者」が「土地……を必要とする第三条各号の一に規定する事業を行う者をいう。」と定義されているところとを綜合すると、都市計画事業について土地収用法上起業者たるものは当該事業の執行者(本件についていえば名古屋市長。)であるといわなければならない。

ところで、土地収用法六八条、一三三条二項によれば、土地収用によつて土地所有者が受ける損失は起業者がこれを補償すべきものであり、土地所有者は土地収用による損失の補償に対する不服の訴えを起業者を被告として提起すべきものとなつている(なお、大審院昭和五年一月二九日、同年二月二二日判決参照。)から、名古屋市長を被告として提起された本訴は不適法ということはできない。被告の本案前の抗弁は採用することができない。

第二、本案についての判断

一、本件土地が原告の所有であつて、その現況が田であること、被告が原告主張の事業認定を受け、訴外愛知県知事において土地細目の公告をなしたこと、関係者間の協議が整わなかつたため原告主張の如く本件裁決がなされ原告に通知されたこと、訴外近藤一夫が本件土地を原告から賃借していること、同訴外人において被告から後記収用地の価額の三〇パーセントに当る補償金(八七万〇二九一円)の支払を受けたこと、原告は本件土地のうち四七九、四二平方メートルに対する補償金として二〇三万〇六七九円の支払を受けたことは当事者間に争いがない。

二、原告は訴外人の債務の履行状態を顧慮しないで、訴外人に対し土地の価額の三〇パーセントの賃借権消滅補償をなした本件裁決は不当であると主張する。しかしながら、賃借権の収用に対する補償とは起業者が土地を収用して負担のない所有権を取得する反面の効果としてこれと両立しえなくなつた賃借権が消滅することにより賃借人が受ける損失の補償をいうのであり、客観的な賃借権の価額に相当する金額によつて定められるものである。

しかして、官庁作成部分につき成立に争いがなく、その余の部分も弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一号証によれば、本件土地の小作人たる訴外人は昭和三五年一月分以降本件土地の賃料を滞納していたが、昭和四二年一月五日同四一年一二月分までの延滞賃料を原告に対し弁済供託したことが認められ、他に原告と訴外人との間の本件土地の賃貸借が(解除その他の事由により)消滅したことの主張立証はない。しかして、多数の土地所有者、関係人が関与し、迅速処理を要求される土地収用手続にあつては、右関係人の土地所有者に対する契約上の義務の履行状態によつて賃借権の価格に増減を来たすべきものではないと解するのを相当とする。

また、成立に争いない乙第二〇、二一号証、当裁判所が真正に成立したものと認める同第一九号証によれば、本件土地附近においては農地賃借権の価格はその所有権の価格の三〇パーセントを下ることはないことが窺われ、右認定を動かすに足る証拠はない。

してみれば、本件裁決が、訴外人に対する補償を本件土地のうち収用部分の価格の三〇パーセントと定めたのは相当であつて、原告の右主張は採用できない。

三、原告は本件裁決当時の本件土地の価格は一平方メートル当り九〇九〇円(坪当り三万円)が相当であると主張し、被告は本件裁決が近傍類地の取引価格等諸般の事情を斟酌してなされた妥当なものであると抗争するので、この点について判断する。

成立に争いのない乙第八号証、官署作成部分の成立に争いなく、その余の部分は証人磯和三郎の証言により成立を認める乙第五ないし第七号証、第一〇ないし第一三号証、同人の証言により成立を認める同第四号証、第九号証、第三者の作成に係り真正に成立したと認められる同第一八号証、同人の証言並びに前記争いない事実を綜合すれば、本件土地は大高町内において南区との境界線に近く、その西方約五〇〇メートルを距てて名四国道が南北に走つており、現況は田であること、本件土地の近傍類地の取引実例としては、昭和四〇年一二月八日字丸の内一〇二番、九六番、九番の田が一平方メートル当りそれぞれ五五一一円、五三八七円、五三九五円で名四国道の用地として買収され、昭和四一年三月二九日には本件事業区域上にある字二番割二六番の二、字杁前五一番の二の田が一平方メートル当り各五三八四円で名古屋市に、同年一一月一六日同じく本件事業区域上にある字西正地八番の田が一平方メートル当り六〇五一円で名古屋市開発公社に買収され、昭和四二年四月八日、字儀長の土地(前記丸の内九番の田の南側)が一平方メートル当り五八〇〇円で高圧線塔用地として中部電力株式会社によつて買収されていること、また、財団法人日本不動産研究所名古屋支所は、昭和四一年一〇月一日の時点において、本件土地の北東約二五〇メートルの字下塩田二四番の田を一平方メートル当り五四五〇円、西北西約一〇〇〇メートルの字寅新田二四番の田を一平方メートル当り四八四〇円と鑑定したこと、昭和四三年一一月発行された社団法人愛知県宅地建物取引業協会作成の土地価格調査一覧表(乙第一八号証)によると緑区大高町内において本件土地附近と異なり市街化した部分といえどもその土地価格が坪当り二万円以下の地点が多数存在すること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。してみれば本件土地の地価の上昇率を考慮しても愛知県収用委員会が裁決をした時期である昭和四三年一月三一日における本件土地の価格は一平方メートル当り六〇五一円を超えるものではないと認められる。もつとも、証人近藤みちの証言(第二回)により成立を認める甲第二、第三号証によれば、昭和四三年一月一六日に上野町字寝覚の土地が坪当り三万一〇〇〇円、大高町字西森前の土地が坪当り一二万円で売買されたことが認められるが、一方右証言によれば右事例は前者の売主が後者の買主、後者の買主が前者の売主という関係にありしかも前者の土地は本件土地から遙かに遠く、後者の土地はガソリンスタンド用地という特種の事情があることが認められる。

また右証言およびこれにより成立を認める甲第四号証によれば昭和四四年九月一〇日字西千正坊の土地が坪当り五万五〇〇〇円で売買されたことが認められるが右事例は本件裁決後一年半以上を経過した時期に属するのみならず、右一例のみによつてはいまだ前記判断をくつがえすには足りない。原告の右主張もまた採用し得ない。

四、以上説示のとおり、本件裁決にかかる収用価格は相当であつて、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮本聖司 上野精 将積良子)

(別紙目録省略)

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